2012年3月11日日曜日

あれから1年。

あれから1年。

あの日、
僕は教室にいた。

昼から自習に来ていた合格発表を待つSさんと一緒にいて、
たしかグループ管理の仕事をしていたと思う。

突然ゆれ始めて、
しかもすごい揺れで、
あわててSさんをつれてとりあえず教室の外に出た。

電柱や大きな看板、車までもが恐ろしいほど揺れていて、
いや、動いていて、
そして一気に電気が消えた。

目の前にある片道2車線の大きな道路でも混乱しているみたいだった。
信号がとまったからだと思う。


揺れが収まった後、
Sさんを教室の中に入れてすごかったね
早く電気復旧すればいいね
こわかったね
なんて話していたら 二回目の大きな揺れが来た。

外に出たら雪が降ってきていた。
寒くてコートを着た。

あまりにも揺れていたからこれからどーすんのかな、
とりあえず今日は休塾にしたほうがいいななんて考えていて、
スマホでニュースを見てみた。


大津波警報。


三陸沿岸の地震がすごかったらしい。
YAHOOニュースが騒いでいるように見えた。


Sさんのお母さんが迎えに来てくれたのは3時半くらい。
10分の距離が1時間以上かかったようだ。

休塾にして、
講師たちにその旨の連絡をした。

うまく伝わらずに来てくれた講師の1人が、
「山崎先生、こんなときにやることをやりましょう。」
と言ってくれて、二人で交通整理を始めた。

彼はすごいと思う。

交差点はマックとモスのある本当に大きなところ。
片道2車線で、右折車も含めるととんでもない数になる。
その交差点まん前のガソリンスタンドのお兄さんたちもそそくさと帰っていった。

そのど真ん中に立ち、
僕らは始めた。


道のど真ん中に立って交通整理する僕たちに
窓を開け
「ありがとう!気をつけてくれよな!!」
と大きな声で励ましてくれる。

暗くなってきて、
講師にお願いしてライトを買ってきてもらった。

寒くなって、
手の感覚もなくなって、
真っ暗になって、
本当にしばらくやった。

グループの連絡を途中でとりながら
(携帯もつながらないので二つある携帯を駆使して連絡した)
一心不乱に、一生懸命やり続けた。


だいぶ遅くなって、
もうこれは大丈夫だろうという状態になって、僕らはやめた。

後日、
あそこの塾の人が交通整理をしてくれていたってのは話題に上がったそうだ。

停電の中、
真っ暗で寒い中、
布団をかぶって眠った。


実家の人とまったく連絡がとれずにすごく不安だったが、
ラジオから流れる危機になぜか実感が持てずにもいた。

次の日(3月12日)は模試の予定だったので、
とにかく延期するにしても教室にいなくては、という想いだった。



1年経つ。

なんだ、ぜんぜん思い出せる。

まだまだその日からの動きはすべてこれに書き出せる。
まだまだ書ける。


釜石の情報が入って、
ワンセグを見て、
あまりにも津波の光景にショックを受け、

「だめだ・・・」って涙したのすら。


あれから僕は実家には何度も帰ってきたわけではない。
寄付やできることはやったが、
地元でがんばっている人にはぜんぜん頭が上がらない。
恥ずかしくもある。


この1年、
何にもできなかった。


尊敬するおじに、
「そうやって思っていることが、何かをしていることなんだ」
って言われて、
隠れて涙を流した。



忘れたいけど、覚えていく。

必死に生きてみせる。

ありがとう。

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