死ぬんじゃないかと初めて勉強した経験がある。
普通の人は受験期に死ぬほどやるんだと思うが、
僕はなぜかできなかった。
きっと病気だったんじゃないかと思うほど、
まったく勉強というものができなかった。
つまり、
机に座って1分でも多く何かを覚えようとしたり問題を解いたりという作業がまったくできない子だったのだ。
勉強していないのだから当然点数が上がるわけがないのだが、
なぜか僕は授業中に覚えてしまうという技を身につけたせいで
テストの点数はそんなに悪くなかった。
ま、良くないんだからまったく自慢にもならない。
頭の良いフリをしていたのである。
小学校の時も、
中学校の時も、
高校の時も、
10分として勉強に取り組むことができなかったのだ。
学校の課題は答えを写し
(当時の僕は恐ろしいことに解かなくてもわかるから考えることが無駄だと思っていた)
家庭学習ノートなんてものは忘れたフリをしてやりすごし、
予習なんてものも僕の辞書には存在しなかったのだ。
(おかげで大学受験で本当に痛い目に遭う)
まぁ僕の勉強に向かえない話は後で話すとしよう。
そんな僕が勉強しようと思ったのは「教育」についてだ。
きっかけはまぁ教員採用試験を通るためなんだけど、
特に教育心理にはまった。
大学の勉強ですら試験30分前にやるような僕が
図書館に通いこみとにかく文献を漁り、むしろ論文を書いたりもしてみたくらいだ。
その時に死ぬんじゃないかという経験をした。
まぁ今までやってなかった分の反動(きっと10年分)だろう。
勉強のしすぎという言葉があるのかわからないが、
夢と現実の区別が本気でわからなくなるのだ。
夜と昼、
前と後、
全て一瞬考えないといけないような状態。
ウイニングイレブンと三国志と三国無双を三日三晩寝ずにローテーションしたときですら
気持ちが悪くなった程度だったのに、
あの時は人格までおかしくなったかと思った。
あのときMくんという友人が家を訪ねて焼肉に誘ってくれていなかったら
もしかしたら本当に死んでしまっていたのかもしれない。
バランスをとりながらやることが必要だと客観的に感じた。
今みんなはもちろん、死ぬほどがんばっているんだと思う。
でも、
例えば 感謝する気持ちや
誰かを想う気持ちや
自分の将来を考えてワクワクするような状態を
忘れてしまったんじゃ意味がないと思う。
僕はMくんという友人がいてくれたおかげで死なずにすんだと本気で思っている。
何のために勉強するのかってのは、僕は自分自身のためだけじゃないと思う。
誰かのためにやった時の方がすごい力を発揮してくれると思う。
受験生だけではなく、来年再来年受験を考えているみんなも考えるきっかけにしてほしい。
・・・つまり、切羽詰まった状態ではなく
早めに仕上げていこうということです笑
でもその経験があるから仕事でも限界までチャレンジできるってのもあるけど。
長々と語ってしまった。。。
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