今日はお金について書いてみたいと思う。
もちろん、僕の独り言だ。
考え方の一つとして聞いてほしいし、
みんなに意見を求めているわけでないから
批判とかへこんじゃうからノーコメでお願いします☆
僕は、
今まで、正直お金に興味がなかった。
中学生くらいでよく話題になる、
「世の中 お金か、愛か」
という質問だったら、間違いなく『愛だろ、愛。』って話してた。
もちろん、
今も同じ質問をされたら同じ答えをする。
働く基準も。
「給料額」で決める人とは話が合わなかった。
最低限さえもらえればいいし、
それよりも「働きがい」の方がずっとずっと大事だった。
社会人になって。
やっぱりお金はもらえるだけもらえればいいかもしれないけど、
それはもらった分だけ贅沢をする、というだけだから
つまりは自分の持ち分だけで生活をするということに気づき、
そしてそれでいいと思っていた。
20万の給料の人は20万の生活をするし、
100万の給料の人はその分だけ生活をして、
結局お互いに「足りないからもっと欲しい!!」って思うはずだ。
財布に余ったお金は講師に使うか教室に使うか、
とにかく還元するものだと考えていた。
でも、
今は昔ほどお金に興味ゼロ状態はなくなった。
それは、
今年の3月11日の大震災がきっかけだった。
僕の育った思い出の故郷はもう見るも無残な状況だった。
テレビで見て、新聞で見て、写真で見て、
ある程度覚悟してから行ったけれど、
・・・涙が出た。
あれから何度も何度も中学時代や高校時代の夢を見る。
今までそんなに見ることもなかったのに、何度も。
駅で待ち合わせて、
友達と一緒に橋を歩いて、
モスでデートして、
ラーメン食べて、
公園に登って景色見て、
弟と恒例の初詣に行って
友達とカラオケに行って
チャリで駅に行って
友達と語り合って
海に遊びに行って
もぐって貝とかとって食べたりして
買い物して
ゲーセンで遊んで
街中のたいしょうけんのたこ焼きお土産に買って
養老とつぼ八しかない飲み屋で仲間と飲んで
おじさんの家でバカ話して
それで、
・・・
でも、
朝起きたときどっちが夢だったのかわからなくなる。
でも、
この記事を書いているだけで涙が出そうになる。
僕はこの震災で寄付をたくさんした。
募金もたくさんしたし、呼びかけも死ぬ気でやった。
ウチの教室では他の教室の20倍の金額が集まった。
それだけみんな賛同してくれた。
今までも僕は本気で募金をしてきたつもりだった。
阪神大震災のときも、
9.11のときも、
新潟の地震の時も、
心臓病のコが必要なアメリカ手術募金の時も、
本気で集めたつもりだった。
街頭で募金活動している方にも極力入れる努力はしてきたし、
自らその活動を行うこともあった。
でも、
これらは「自分が気持ちいいから」やっていた。
今回は気持ちいい瞬間なんてなかった。
募金箱にお金を入れる瞬間にも辛い気持ちだった。
僕は本当にたいしてない全財産を被災地に送った。
全然気持ちが良くない。
僕は、
これくらいしかお金を持っていないのか。
これくらいの力しか持っていないのか。
どうして今までお金に興味がないなんて言ってきたのか。
本当はもっともっと贈れたはずだったんじゃないのか。
お金を稼ぎたいと思った。
いろいろ考えた挙句、結論としては。
誰かに喜んでもらって、その対価としてお金をもらおう。
対価が存在しなければ絶対にもらわない。
誇れる仕事をやって、
誇れるお金を得よう。
今まではお金の意味を履き違えていた。
世の中には溢れるだけお金を稼ぐ情報がある。
寝ているだけで300万稼げます。
これをやれば年収1億稼げます。
違う。
お金さえ入ってくればいいんじゃない。
どうやったらみんなに喜んでもらえるか。
どうやったらみんなに笑顔になってもらえるか。
それを突き詰めていきたいと想う。
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